「三途の川」(さんずのかわ)とは、この世とあの世の間を流れている河のことです。この川を越えると、もう戻ってこれません。死後の世界に行きます。この世と死後を分ける三途の川とは一体どんな川なのでしょうか?
日本人の死後世界は古来、神道、仏教、儒教、道教、景教などが、いろいろな時代を通じて渡来してきたため時代と共にそれらが混在、習合した複雑なものとなってしまいました。ここでは俗説(十王教という死後の旅路の物語)の死後の旅をまとめてみました。
三途の川とは?
1週間目;死出の山路
旅立ちの支度として死に装束に着替えます。白い経帷子(きょうかたびら)を左前に着ます。宝冠(額につける三角形の布)は、死者の滅罪を願い、閻魔大王に拝謁する際の正装です。
そして鉄鋼脚絆(てっこうきゃはん)つけ、草鞋(わらじ)をはきます。三途の川の渡し賃の六文銭を入れた、ずだ袋をかけて、数珠を持って出発します。
たった一人で真っ暗闇の中を歩き出します。荒れ果てた広野を歩いて行くと、険しい山道にさしかかります。峯から吹き下ろす風は、肌を凍らせ骨を刺します。山からは罪人の悲鳴が聞こえます。山路は長さ八百里、約3200キロの旅路を7日間で歩くので、1日約460キロです。
2週間目;三途の川
その向こうに見えてきた大河が三途の川です。この川には、三つの渡しがありますので、三途川と言われています。川幅は40由旬(ゆじゅん)、400キロ以上という向こう岸の見えない大河です。
上の渡しを、浅水瀬といいます。 ここは浅く水も膝元をこえません。比較的、罪の軽い人がこの浅瀬を渡ります。
中の渡しを、橋渡といいます。 ここには、金銀、七宝で飾れた美しい橋が架かっています。善人だけが、この美しい橋を渡ります。平安時代の終わり頃から、三途の川を渡る際に「橋を渡る」という考え方が薄れてきて、渡し船に乗って川を渡るという考え方になっていきます。この際、渡し船の料金が六文であるとされ、「渡し賃としての六文銭」という考え方に繋がっていきます。
下にある渡しを、強深瀬といわれる激流です。悪人はここを渡ります。強深瀬の流れは、矢のように速く、 波の高さは山のようです。水面に顔を出すと鬼や夜叉から矢を射られます。川の底には毒蛇がいて喰われます。 また上からは大きな岩が次々流れ落ち、 死者の体を粉々に砕きます。 砕かれては蘇り、生き返ればまた砕かれます。死んでもすぐに生き返って苦しみ続けながら400キロを泳ぎ続けます。
この三途の川は、 生前に自分が他者に対して与えた歓びや苦しみを一身に、受けるところと言われています。
三途の川を渡ったら・・
そして裁判で、死ぬまでに造った罪によって行く先が決まり、6つの迷いの世界のどれかへと生まれ変わって行きます。これが輪廻転生です。このように、三途の川を渡ってしまうと、必ず六道輪廻を続けなければなりません。
天、人間、修羅(しゅら)、畜生(ちくしょう)、餓鬼(がき)、地獄の六道(ろくどう)は、いずれも苦しみ迷いの世界で、果てしなく生まれ変わりを繰り返しますので、三途の川に来てしまったらもう手遅れです。
三途の川を渡らなくてもすむ方法
三途の川を渡った所に、極楽と地獄の分かれ道があるのではなく、三途の川の向こう岸は必ず地獄だということです。
極楽浄土とは
「極楽浄土」とは、大宇宙にはたくさんの仏がおられ、それぞれの浄土がある中でも、最高の仏である阿弥陀仏の浄土を極楽浄土といいます。仏がおさめる清浄な世界の一つです。
天国と極楽との違い
極楽浄土は、六道輪廻を離れた世界です。神の国である天国は、仏教では「天上界」といいますが、迷いの世界である六道の一つですから、やはり寿命があり、次に地獄に堕ちることもあます。
ところが、極楽浄土は、輪廻を離れていますから、二度と地獄に堕ちることはありません。極楽浄土に生まれた人の寿命も無限です。ちなみに「輪廻」は迷いの世界だけに使われる言葉ですから、極楽浄土に転生するとは言いますが、極楽浄土に輪廻するとか、輪廻転生するとは言いません。
極楽に行く為には(日々修行)
お釈迦さまが往っている人が少ないと説かれるように、極楽浄土へは、死にさえすれば誰でも往ける所ではありません。
極楽に行く為には・・・。親孝行は人間として為すべき善行の基本です。その次は、先生を敬い仕え、十善をまもることです。詳しくは後日まとめますね。